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「京都百景」 のバックナンバーです

京都百景 Vol.82 祇園東(ぎおんひがし)

現在、京都には祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の5つの花街があります。祇園東は京都市東山区の東大路通と花見小路の間で四条通北側の繁華街に位置します。明治141881)年に祇園甲部から分離独立し、一時は「祇園乙部」と称されましたが、戦後は名称を「祇園東」に改め現在に至っています。

観光客が多すぎて問題になっている祇園甲部と比べて、写真の「観亀稲荷神社」(かんきさん)を中心にしっとりと佇む姿が印象的です。
今秋も「祇園をどり」が11月に祇園会館(京都・祇園石段下)で開催されます。
この機会にぜひ祇園東にお越しやす。




(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

鳥居と瑞垣の朱に女性の着物の白が映えて、まず視線が引きつけられます。
混み合う観光客の中で花街の女性を見かけるよりも、ここに写された彼女の日常のひとこまに、かえって艶(つや)やかさを感じるのは、静寂な風景と、遠景であること、後ろ姿が与える想像力によると思います。
静止画像でありながら、彼女の前後の動きまで想像させます。その所作には、折り目を大切にする花街の生活や、芸事に育まれた美しさがあるのだろうと、想像しました。


京都百景 Vol.81 龍安寺石庭
猛暑が続いた今夏、観光ツアーバスで龍安寺を訪ねました。冷房車でガイドさんの説明を聴きながらの御寺巡りもいいものです。
早朝だったせいか観光客がそれほど多くなく静かな石庭でした。

年配のご夫婦がパンフを見ながら話し合っています。右奥の石組がお二人を見守っているように思え、暑さを忘れて写し撮った一枚です。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

ご夫婦の顔が写っていないので、パンフレットを見る後ろ姿に、石庭を存分に味わっている様子の表情が想像され、画面に心豊かな世界が広がります。
石組みが僅かしか写っていないので、かえって存在感があり、広い面積を占めている白砂の美しさも印象的です。


大海や水の流れを表すという白砂に、ご夫婦の長い航海だったであろう人生が呼応しているかのようにも感じられます。
龍安寺は石組みだけが主役ですが、石庭の一部分のみを切り取って、ご夫婦の後ろ姿とともに写すという斬新な視点に驚きました。


京都百景 Vol.80 保津川下り

亀岡市から名勝嵐山まで16kmに及ぶ保津川下りは、年間を通じて約30万人の観光客が訪れて自然美とスリルを満喫しています。
昨年3月に舟が転覆し船頭2人が亡くなりました。客はスリルを楽しみに乗船し、船頭は命懸けで操船しているのが写真から伝わってきます。
事故の後、船頭になる人が激減したとのこと。

明治から続く世界的に有名な保津川下りを絶やさぬようにしたいものです。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

左下と右上の岩にはさまれた急流は、船頭さんの腕の見せ場なのでしょう。
上から撮っているので、それぞれの船頭さんが操る3本の棹が、一体となった呼吸まで感じられ、まさに命懸けの姿と、波に上下する船の動きも伝わってきます。
年間30万人もが満喫するとのこと、自然の中で急流に身をゆだね、危険をかわしながら目的地を目指すそこには人間の本能的なものを捉える魅力があるのかもしれません。
保津川という絶景あってこその船下りの文化が、安全に配慮されつつ、受け継がれてほしいと思います。


京都百景 Vol.79 京都タワー雨情

60年前に完成した京都タワーは奇抜なデザインで当時は市民から歓迎されませんでした。そのあと向かい側に完成した京都駅ビルも奇抜過ぎてやはり歓迎されなかったのです。
でも雨に濡れた駅ビルの窓からタワーを撮影すると京都を象徴するタワーとして馴染んできたように感じました。いかがでしょうか。
202441日にニデック京都タワーに名称が変更になりました)



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

このような京都タワーを見たことはないのに、なぜか懐かしいような慕わしさを覚えました。
普段目にしたり、観光写真で見るタワーが、万人が共有している京都のシンボルだとすれば、この作品は、鑑賞者それぞれが京都との物語を思うことのできる、一人一人のタワーではないでしょうか。
現代の構造物である無機質なタワーが、雨滴をまとって霞んでいることで、「京都らしいタワー」の情趣を見せて、まさに京都百景の一つだと思います。


京都百景 Vol.78 京都市京セラ美術館

この美術館は現存する日本の公立美術館では最も古い建築ですが、創建当時の和洋が融合した意匠を最大限保存しながら現代的なデザインを加えて新しい美術館として生まれ変わりました。
中でも注目すべきは神宮道に面した西側の広場から、中央の大陳列室、東玄関に至る軸線が強調されたこと。
この写真は東玄関から東山を背景にした日本庭園を写したもので、ここでは皆さんが絶景をスマホで撮影しています。
実は4年前にオープンしていたのですが、コロナのため人数制限などの自粛を続け、やっと自由に入館できるようになりました。
伝統のある美術館の刷新ぶりをぜひ見に来ておくれやす。


(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

東山の景観と一体になった美術館の魅力が伝わってきます。
天井から見える外部が外とひと続きに感じられ、建物の内部に居ながら、京都を象徴する東山の景観に包まれているような、安らぎがある空間となっています。
建物の内と庭が一体に繋がる開放感は、日本の建築の特色だと思いますが、その文化を創建当初の和洋折衷の上に生かして、新たな意匠としたところに、京都の意匠力を感じます。

「元の文化」を大切にしながら、時代に合わせて形を変化させてゆくことで、「元の文化」を生きたものとして伝えてゆく京都の姿に惹かれます。


京都百景 Vol.77 神泉苑

神泉苑は二条城の南に隣接する平安京造営時に設けられた禁苑です。歴代天皇が行幸され、歌や花、音楽を楽しみ、名前が御池通の由来にもなりました。
平安の面影を残す境内には願いが叶う法成橋が新緑とツツジで彩られ、53日の神泉苑祭では靜御前がこの橋の上で舞を奉納します。
静御前に逢いたければぜひ!


( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

橋の向こうから静御前が現れ、舞って、また去ってゆく動く絵巻のような、幻想の情景が見えました。所々が暈(ぼか)された新緑とツツジに囲まれた橋は、周囲と対照的に鮮明に赤く写されていて、視線が強く引きつけられます。
橋の赤には妖艶さも漂っているかのようで、橋が「こちら」と「あちら」を繋ぐ場、異界との境の場であることが伝わってきます。

静御前が神泉苑で舞った折に、源義経に見初められたと伝わるのを思い出しました。彼女にとって、異界への運命の場所だったのだろうかと思いを馳せました。


京都百景 Vol.76 三条大橋

三条大橋は天正181590)年に豊臣秀吉が架橋し、昭和491974)年に大改修工事が行われました。
その前年にこの橋を題材にした作品が「日本カメラ」誌に見開きで掲載され、プロデビューすることができたゆかりのある橋なのです。

そして本年1月に50年ぶりの改修工事を終え、初めてライトアップされることを知り撮影に出かけました。
照明を浴びた大橋が見せてくれる光景は幻想的で雅なものでした。
毎夜11時まで見ることができますのでまだの方はぜひどうぞ。


( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

清雅にして艶をも感じさせる作品だと思いました。
橋と月が主役だと思いますが、広い夜空の空間に大きな役割があると感じます。月と橋が呼応する夜空に、物語が生まれるかのようです。
説明的なものを排した構図によって生まれる無限の情趣に、日本の美意識を感じます。

長い歴史の年月に、数多の人々が様々な思いを抱いて、この橋を往来したであろうと、思いを馳せました。


京都百景 Vol.75 古式追儺式(吉田神社)

3日の節分を前に、京都の「表鬼門」とされる吉田神社で2日の夕刻から3匹の鬼を追い払う古式追儺(ついな)式が行われます。
怒りと悲しみ、苦しみを表す赤、青、黄の3色の鬼が金棒を振り回しますが、疫病退散の力を持つという「方相氏(ほうそうし)」が鬼を追い払います。
今年になって暗い出来事が多いだけに早く方相氏に登場して欲しいですね。


( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

鬼や方相氏のアップではなく、神職さんや楽人など行事に奉仕する方々、遠景の見物人も写っていることで、臨場感があります。手前の人物が後ろ姿なで、その背後に自分が立って眺めているような気分になりました。
方相氏に中国渡来のエキゾチズムが感じられ、豆撒きの風習が生まれる遥か以前に、日本が大陸から受け入れて我が国の厄除けに変化させた文化の姿が垣間見えるかのようです。

京都を楽しむことは、日本の文化の成り立ちを知ることかもしれません。
疫病や災害がまさに「怒り」「苦しみ」「悲しみ」を生むことを、私達は知りました。
本当に方相氏に登場してほしいこの頃です。


京都百景 Vol.74 雪化粧(上賀茂神社)

待望の雪が降りました。
真っ白の雪には朱赤の社(やしろ)がよく似合います。
近くなのでよく出かける神社ですが、今までに写したことがないアングルがまだありました。



( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

いかにも新年らしい神社の「朱と白」でありながら、とても新鮮な印象を受けました。
珍しいアングルだからこそ、「朱と白」の意味がより強く迫ってきます。
額縁となっている上部と左右の強い朱と、その囲みに導かれる白の中の小さな四つの朱、その対比によって、「朱と白」の意味がより深く心の内に入ってきました。
視線を導かれる結界は小ささゆえに、雪とあいまって紙垂の白に「凛」を、雪を被った朱に「艶」を感じます。
白に清浄を、朱に生命を祈る心を深く念じる元日となりました。


京都百景Vol.73 護摩祈祷(広隆寺)

護摩は弘法大師が日本に伝えた真言密教の秘法で、護摩木を米、お香、漢方薬、油などと一緒に焚き上げて厄や災いを払い願望を清めます。行者と火炎が一体となって一心に念じ厄除開運、所願成就を祈ります。そして燃えさかる炎は、災いを焼き払い、願いを成就させる力を持つといわれています。
広隆寺ではコロナ禍以降実施されていません。他の寺院の実施状況を問い合わせてから出かけるようにしてください。

( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

写真の中で、動いていないはずの炎が燃え盛り、瞬時に姿を変え、動いて見えます。
しかも、視覚だけで捉えている画面から、護摩木が燃えて爆()ぜる音、行者の呪文の声、火に投じられた香や油の匂い、炎の熱さまでも感じます。
行者の一心な表情と炎が、まさに一体となった姿を捉えた画面に生まれた霊力が、五感に臨場感を伝えてくれるのではないでしょうか。
そして護摩木に託された燃え上がる一人一人の願いを思い、人は祈ることで前に進む力を得るのではないかと感じる作品です。


京都百景Vol.72 愛宕念仏寺の秋

( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)


京都百景Vol.71 〇乃庭(建仁寺)

京都の古刹で祇園にある建仁寺。
ここにある「
乃庭(まるさんかくしかくのにわ)」は禅宗の四大思想(地水火風)を表現しています。手前の四角い井戸は「地」、真ん中の丸い苔は「水」。

そして、画面上部(遠方)の白砂が三角形になっており「火」を表しているのですが、これは反対側に立って初めて理解できます。

皆さんもぜひ訪ねて、じっくりと観察して下さいね。

( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

「地水火」が庭という形に象徴されていることに、禅宗と庭の結びつきの奥深さを感じます。このような見立ても、日本の美意識の一つなのだと教えられます。
反対側に立って初めて理解できる常識の外から対象を見ることで、その本質を明らかにできるのかも知れません。
この庭を眺めつつ、心の内に「風」を感じられたら、悟りの入口くらいには近づけるでしょうか。


京都百景Vol.70  雲龍院(泉涌寺別院)

雲龍院は御寺泉涌寺の別格本山で応安5(1372)後光厳天皇が建立し、ご本尊に藤原時代の作とされる薬師如来坐像が安置されています。皇室ゆかりの寺らしく、霊明殿前の石灯篭は砂で描かれた菊の御紋の上に立っています。

そのまま撮ったのでは記録写真にしかならないのでズーミングしたところ、菊花紋の文様に動きが表現できました。

( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

動きを持たない菊花紋が、ズーミングによって動いて見えることに驚きました。
皇室ゆかりを象徴する格調高い白砂の菊花紋を、現代美術のように捉えた表現に、意表を突く斬新さを感じます。

菊の花弁が放射状に画面の外へ、力強く走りながらどこまでも広がってゆくような不思議な感覚にとらわれました。


京都百景Vol.69 芸妓(先斗町 市笑)

芸妓は「げいぎ」ではなく京都では「げいこ」と読みます。
少し前、先斗町(ぽんとちょう)のお茶屋「村政」で芸妓の市笑(いちえみ)さんを撮影する機会がありました。
舞いの始めと終わりにご覧のようにお辞儀をされるのですが、その凛々しいお姿は見事でした。一年前の「京都百景Vol.55 まぼろしの遊郭」と同じく今回も8月の撮影なのでまるで「真夏の夜の夢」を見ているよう・・。
この市笑さんは特に笑顔がステキな方でした。「フォトレッスン」の「取材記 お茶屋での撮影術」にその笑顔を載せております。



( 以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

「凛」」と「艶」とを合わせ持つ市笑さんの魅力が、お辞儀という所作に捉えられた作品だと感じます。芸事にたゆまぬ修練を積んでいるからこそ、凛と艶がともに備わるのでしょうか。
凛としていて艶でもあることは、京都の様々な文化に共通する美意識の特徴であるように思われ、芸妓さんもその象徴だと感じます。
凛も艶も日本から失われゆく今、居ながらにして、市笑さんの姿に心洗われ、贅沢な夏になりました。


京都百景Vol.68 北山杉

早春にはスギ花粉で悩む杉ですが、さすが全国でも有名な北山杉の佇まいは見事ですね。

「じつに真直ぐにそろって立った杉で、人の心こめた手入れが、一目でわかる。銘木の北山丸太は、この村でしか出来ない。」(川端康成「古都」より)

この美しい杉林の花粉なら京都人なら我慢しなければいけないかも()



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

北山杉は見上げる写真が多いので、見下ろした構図に意表をつかれました。
無数の同じ形の杉で埋め尽くされた画面は、造形的で、抽象絵画のようにも感じます。人の心と手によって、丹精が込められた北山杉の美は、いわば造形的な人工美だといえます。
自然そのものではなく、自然に人の思い、人の手が加わって生まれる京都の文化の典型的な一例として、まさに「京都百景」の「一景」と感じます。
右側に写る枝は、こちらから北山杉を見下ろしている距離感、臨場感を表現する効果を生んでいるのではないでしょうか


京都百景Vol.67 緑雨の金閣寺

教室実習で梅雨入りした金閣寺(鹿苑寺)を訪ねました。
入り口からすぐの絵葉書で有名な位置は超満員の観光客で、傘を持ちながらカメラを構えるのが大変です。そこで少し奥に進み、混雑がいくぶん緩和された位置から鏡湖池に映った金閣にピントを合わせました。


ここで一句・・緑雨にも染まざる金閣なりしかな

実は中原道夫氏の「染まざる樺なりしかな」をお借りしたのですが良い句ができたでしょう?
この句に負けない写真になっていればいいのですが・・。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

定番の眺めではない、もう一つの金閣の発見でした。
金閣の金閣たるゆえんが金色にあるとすれば、緑の中の水面に映る煌めきは、それだけで紛れのない金閣の姿だと思いました。説明的でなく、対象の本質を語っているこの作品そのものが、まさに俳句の世界ではないかと思います。
この写真だけからは金閣寺と分からない作品でしょうが、池らしき水面に映る金色から、金閣寺と想像を巡らせ、謎を解く楽しみもあるかもしれません。


京都百景Vol.66 無鄰菴の玄関

無鄰菴(むりんあん)は、明治中期に造営された山縣有朋(やまがたありとも)の別荘。
庭園と母屋・洋館・茶室の3つの建物によって構成されており、庭園は七代目小川治兵衛により作庭された近代日本庭園の傑作です。

写真は母屋から玄関を見返ったものですが、緑に包まれた風情を味わいにお越しやす。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

玄関の建具という「額縁」の囲みによって、外の緑に視線が集中し、また緑も引き立てられていると感じます。樹木ごとに異なる緑の色のハーモニーの美しさも、気持ちを穏やかにしてくれます。
母屋のこの位置から玄関を見た時、外の緑がどのように見えるかが計算されているようで造園家の美意識を感じました。


京都百景Vol.65 舞楽(御香宮神社)

先日「伏見の御香水」で知られる御香宮神社の例祭で舞楽「迦陵頻(かりょうびん)」を見ることができました。上半身は美しい女性の姿・下半身は鳥の姿をしており、新緑の中で実に色鮮やかな舞でした。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

柔らかな緑が、迦陵頻の極彩色の羽を引き立てているだけでなく、緑が周辺を隠していることで、視線が羽に集中する効果を生んでいると思います。 緑が暈(ぼ)かされているのも幻想的な雰囲気をかもして、迦陵頻の棲む極楽浄土にいざなわれます。
古代から、舞楽は屋外で演じられることが多かったと思い合わせると、自然の中で舞われる迦陵頻の装束に、いにしえの人々も、この作品を観るように浄土に遊び、心を洗われたのではないでしょうか。


京都百景Vol.64 国宝 唐門(西本願寺)

西本願寺の国宝・唐門が一昨年に約40年ぶりに修復され、桃山時代を象徴する華麗な姿を無料で拝観できます。黒漆を塗り直したほか、極彩色の麒麟(きりん)や唐獅子など107点の彫刻は、X線分析で顔料を特定して彩色したとのこと。
国宝ですが日中なら近づいてゆっくり見ることができます。撮影も自由ですので、超ワイドレンズで思い切り近づいて撮影しました。
ちなみにこの門は、日が暮れるのを忘れて見とれてしまうほどの美しさから「日暮門(ひぐらしもん)」とも呼ばれています。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

桃山という時代の夢を象徴するような絢爛豪華で威厳ある唐門の魅力を、ワイドレンズでの接写が最大限に引き出していると感じます。唐破風の中央に羽を広げる金色の鳳凰をはじめ、獅子や麒麟の一体ごとのポーズも迫力を持って迫り、まさに見飽きません。

撮影技術が被写体から何を引き出すかは、写真を見る楽しみの一つです。


京都百景Vol.63 乙女椿(東本願寺門前)

椿の中では最も可憐で華やかなのに桜の脇でひっそりと咲いている乙女椿。花言葉は「控えめな美」「控えめな愛」。八重咲きの豪華な花ですが、可憐なピンク色で香りがない乙女椿の特徴が、控えめな美人をイメージさせるようです。
花見の主人公の桜だけではなく、ワキ役の乙女椿にもレンズを向けるようにしましょう。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

桜に目を奪われる季節、深紅の椿には目を留めますが、見過ごしがちな乙女椿の魅力を発見しました。確かに八重咲きで華やかなのに、あでやかさよりも可憐で控え目な美しさに、舞妓さんを連想します。
クローズアップされた一輪と向き合っていると、私達は、あでやかでミステリアスな桜に惹かれる一方で、可憐で控え目な美に魅力を覚える心性もあるのだと感じます。


京都百景Vol.62 紅白の共演

私が住んでいる北区上賀茂で写した最近の雪です。
上賀茂神社などを写しての帰途、ご近所さんで見つけた紅梅。
手入れをしっかりされているので目にも鮮やかな紅白の共演でした。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

冬と春のゆきあいを象徴するような白と紅の響きあう美しさを感じます。
雪も厳寒のそれではなく、やがて融けそうに屋根瓦の形を見せて柔らかく、紅梅とともに春の訪れを告げているかのようです。
細やかな四季の移ろいとともに、生活文化を磨き上げてきた京都らしい、冬から春への間(あわい)を見事に捉えた作品です。


京都百景Vol.61 先斗町

先斗町(ぽんとちょう)という名前の由来は、ポルトガル語(ponta(先)、ponto(点))に由来すると言われます。四条から入った狭い道が三条の手前で行き止まるのでなるほどと理解できます。
先斗町の紋章である鴨川ちどりの画が描かれた提灯が店先に掲げてあり、花街の雰囲気を和やかに盛り上げています。
撮影したのはまだ雪が残る寒い日でしたが、暖かくなれば多くの観光客で賑わうことでしょう。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

画面の半分近くを占める手前の提灯から、奥の小さな提灯へと視線が導かれ、この通りをもっと先まで歩いてゆきたくなります。
提灯の赤の華やぎと、描かれている千鳥の愛らしさが、人恋しさを誘い、道の残り雪にもどこか温かさを感じます。
観光客で溢れている時には気づき難い、通りの細さゆえの温かい雰囲気、先斗町らしさを語る作品です。


京都百景Vol.60 東寺を翔ける

風が冷たい教室実習の日。強い風で雲がどんどん動いていく様を写そうとしていたら突然の飛来。一枚しか写せませんでしたが金堂の屋根と群舞が重なり、動きのあるカットになりました。
年末にも年始にも飛翔が写せるとは何か良いことがありそうです。


(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

長いコロナ禍で停滞しがちであった私たちを、ともに飛翔しようと、希望に向かっていざなっているような力強い躍動感を覚えます。
東寺といえば弘法大師空海。躍動感ある画面は東寺の持つ密教のパワーとも重なり、空海の目指した夢への飛翔を象徴しているようにも感じます。


京都百景Vol.59 平和の鳳凰

鳳凰と言えば宇治の平等院が有名ですがこれは同じ宇治でも京阪宇治駅前にある別の鳳凰です。寺院では拝観時間しか撮影できないのと左右の鳳凰の距離があるため一対(いっつい)で撮影できませんがこちらはいつでも自由に撮影できます。
鳳凰は中国の伝説上の霊鳥で、聖天使の治める平和な世にのみ姿を現すとされています。
それなら今年こそ鳳凰が天空を翔けてコロナ過から私たちを救ってほしいと願いながらシャッターを切りました。


(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

古代中国の書物に、私たちを不老不死の仙境に導いてくれるとも、天下太平の世に姿を表すとも記された鳳凰。雲に動きが感じられ、鳳凰の羽と呼応して、今にも羽ばたき飛び立って天を翔そうです。
自然の見せる幻想的な瞬間に鳳凰を見ることで、古代の人々が鳳凰に託した祈りを身近に感じられるように思います。写真作品にとって、自然の刻一刻を捉える意味の大きさも感じます。


京都百景Vol.58 同志社のXmas

同志社大学今出川キャンパスで恒例の点灯式がありました。
礼拝堂の前で讃美歌を聴いているとクリスチャンでなくても敬虔な気持ちになります。キリスト教は一神教なのですが、この大学には寛容の精神が満ち溢れているようです
日本人の多くは普段はお寺で仏様を拝み、年末にはクリスチャンになり、新年を迎えると神社に参拝しますよね。でもそれはそれで良いのではないか、という心情になった一夜でした。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

女性たちが後ろ姿で写されているので表情に気を取られることがなく、彼女たちの心の内の敬虔な清らかな祈りがこちらの心にも真っ直ぐに伝わってくるかのように感じます。クリスマス本来の静かな深い感動満ちる作品です。
古から様々な神仏を受け入れ、生活の中で広く信仰の対象としてきた歴史を思えば、この作品も京都らしい百景の一つと感じます。
時に応じて神も仏も拝み、この作品のクリスマスにも心洗われる一年は私たちの多様性に富む文化の表れではないでしょうか。


京都百景Vol.57 犬矢来(いぬやらい)の陰影

犬は家の壁に沿って歩く習性があり、時たま放尿します。それを嫌った京都人の智恵から生まれたのが「犬矢来」です。また、泥棒除けや雨水の跳ね返りを防ぐなどの実用性があり、京の町に風情と潤いを与えています。

夕陽を受けた陰影をモノクロームで表現しました。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

実用の知恵である犬矢来が光と陰で捉えられた時、俄然、豊かな表情を見せて、風景の脇役から主役になっているのを発見しました。
竹の整然とした間隔と曲線が、これほどに美しいと気付くのは、形が光と陰で捉えられているからだと思います。
犬矢来は結界でありながら、風景に与える造形美の情趣で、路を行く人と繋がってもいるのだと感じます。


京都百景Vol.56 五節の舞

宮中で執り行われる神事「五節の舞(ごせちのまい)」。
舞姫に選ばれた小野小町は、仁明天皇の御前で舞を披露します。そして天皇の寵愛を受けながら京都の風雅に触れ、小町はより美しく、ますます才能を開花させました。

写真集「小町」(随心院刊)に掲載のため許可を得て撮影したものです。(協力 原笙会)

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

五節の舞は、吉野で琴を弾く天武天皇の前に舞い降りた天女の再現という伝説が思い起こされる夢幻の世界です。
正面からの撮影だと、舞姫が現実の女性に感じられてしまいそうですが、斜め上から見下ろして、距離も取った構図によって、舞姫に天女の幻想的な美しさを感じます。

自分が木陰に身を隠して、天女の舞うこの世ならぬ夢幻の世界を見つめているような心地になりました。


京都百景Vol.55 まぼろしの遊廓

今夏に太秦映画村で開催された「夏ノ夜遊ビ」から太夫道中を撮影。京都には島原や五條楽園などの遊郭跡が残されていますが、この写真のような夜の太夫道中は見られません。さすがは映画村だけに女優さんが太夫に扮し、道中のショーも見事な進行で、満員のお客さんは大喜び。

夏休みの最後を飾る「夏の夜の夢」でした。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

昔の夜は今より闇が深く、このような行灯やろうそくの灯りは太夫に艶なる陰翳をもたらしたことでしょう。繊細な光と陰によって太夫の美しさが捉えられていて、古の島原にタイムスリップしたかのような心地になりました。
このように太夫の魅力が紹介されることで、諸芸に美意識高いサロンであった島原の貴重な文化も伝えられてゆくようにと思います。


京都百景Vol.54 盛夏の寺町通

寺町通は天正18年、豊臣秀吉による京都改造によって、通りの東側に寺院が集められたことからこの名前になりました。南北に長い道路ですが丸太町通から御池通の真中あたりで撮影しました。車の運転が好きなので、オープンカーやいろいろなバイクを乗りましたが、この女性が乗る自転車が一番涼しそうです。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

画面の左右と上端を囲んでいる暗い部分が、女性に視線を集中させ、女性に射す光と路上の照り返しを強調して、暑さが伝わってきます。
色数が少ないので、女性の身につけた白と緑が一層インパクトを持ち、盛夏を楽しんでいるかのような爽やかなパワーを彼女に感じます。

暑さの盛りを、お洒落な日傘と爽やかな出で立ちで、自転車で寺町通をゆく女性に、盛夏を涼しげにかわす京都の市井の人々の心映えをも写し撮っているように感じます。


京都百景Vol.53 真夏の(?)植物園

今年は6月末に梅雨明けするという異常事態に府立植物園では3日前から散水車による水やりが始まりました。例年は7月下旬だそうですからいかに異常事態であるか分かりますよね。

この写真は熱中症警戒アラートが出る前に撮ったもので、噴水の向こうにカップルが手を取り合って歩いています。今日も気温が38度越えになる予報ですが、仲の良い二人なら手を握り合うのも平気なのでしょうね。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

噴水の水のきらめきが、手を取り合う二人の気持ちを象徴しているかのようです。噴水越しに二人を捉えたことで、夏の日の二人のときめきが、水のきらめきによって表現されているように感じます。
光線の当たり方による緑の濃淡からも、夏らしい雰囲気が伝わってきます。
真夏の景色と若さは何とよく似合うことかと眺め入りました。

暑い夏の日を、幸せな気分にしてくれるような作品です。


京都百景Vol.52 雨の清水坂(きよみずざか)

清水寺へ通じる観光名所である清水坂。コロナ以前の観光公害が叫ばれていた頃の雨の光景です。傘の色で外国人がいかに多いかお分かりいただけると思います。

610日から外国人観光客の受け入れが再開されました。人数やビザなどの制限をしているとはいえ団体旅行者から感染者が出た場合でも旅行が継続できるとか、日本の旅行医療保険加入の義務付けもできていません。
性善説は日本人には通じますが外国人には通じないのです。

この時期に敢えて外国人を増やさなくても信頼できる日本人観光客だけでいいのではないかと思うのですがいかがでしょうか?

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

遠からずこの光景が戻ってくるのでしょうか。
様々な国の人々が、京都の魅力に惹きつけられていることは、嬉しく感じる反面、コロナ以前から複雑な思いも抱いていました。

観光客を受け入れつつ、京都がどうあるべきなのか、京都に暮らす人々に、広くは日本人に問題提起している写真と感じます。
無数の傘が混雑を強調して分かりやすく、効果的に伝えていると思います。


京都百景Vol.51 妙満寺【花の間】

先月に続き「花咲く京都キャンペーン」で妙満寺本坊が【花の間】になりました。
背景の「雪の庭」はリニューアルされたばかりでとても美しく、手前の花たちと「日本の美」を競っています。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

今、花の間に足を踏み入れ、自分の視線と導線がどう動くか分かるような臨場感があります。まず手前の花の豪華さに「わあ、きれい」と釘付けになり、次に正面の花とともに、「庭の緑もすばらしそう」と、目が正面に向かいます。

正面の花を見た後は、右手の縁側に出てしばし庭園の緑を眺め、左側の部屋に入り、また花の間に戻って花を鑑賞したり、外の緑に目を遊ばせたりして、花と緑の癒やしに浸るのではないかと思います。

二つの花、二つの部屋、襖や障子、緑の庭と沢山の要素が入っていながら、視線が心地良く誘導されて、まさに花と緑の交響となっていることに、深い味わいを感じます。


京都百景Vol.50 隨心院【花の間】

「花咲く京都キャンペーン」で能の間が花で満開の【花の間】になりました。
春の隨心院境内は、シャクナゲ、ツツジ、マンサクなど春の境内を彩る数々の花が咲き乱れる事となりますが、室内も花で満開にするという企画です。

5月22日まで開催されています。撮影は自由とのことですのでぜひ!



(
以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

随心院にゆかりの小野小町に捧げる花の間だと思いました。
絶世の美女として名高く、「花の色はうつりにけりな」と詠んだ小町に、花が「いえ、貴女は永遠に美しい」と語りかけているかのように感じます。
この花の間のどこかに小町が佇んで、嬉しそうな表情を浮かべているのではないでしょうか。


京都百景Vol.49 京都御苑の春

京都御苑の春は 梅桜の順にやってきます。
この写真は桃で紅白の花が咲き誇っていました。ちょうど発売になったばかりのミラーレス一眼の
OM-1が届いたので初撮りした一枚です。

後方は京都御所の建礼門で大学へ毎日通った通学路。
あぁ、懐かしい・・・

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

梅や桜ではなく、見落としがちな桃への着眼が、とても新鮮です。
御苑の、梅と桜の間
(あわい)の春が、桃に感じられます。
凛とした梅、嫋々(じょうじょう)とした桜にはない、桃の素朴な明るさが、朧な遠景と一体になって、御苑の春の魅力を伝えていると思います。
紅白咲き分けの桃とのことですが、白い花を取り上げたところに、御苑らしい気品も感じます。


京都百景Vol.48 祈祷 (城南宮)

梅が咲き始めた境内で祈祷する巫女(みこ)さんを撮影。巫女は神楽を舞うなどの神事を行い、神職の補佐的な役割を行いますがいつも巫女装束の清楚な美しさに目を奪われます。
私達の願いは一つ、疫病の早期退散!

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

祈る所作の美しさ、祈る装束の美しさを通して、祈ることそのものの美しさに気づかせてくれる作品です。
祈る心が美しい所作を生み出し、美しい所作が巫女さんの祈る心を一層高めるのではないでしょうか。

挿頭
(かざし)と手にした紅白梅が春を感じさせて温かく、祈りの形も季節感とともにある私たちの文化を思いました。


京都百景Vol.47 コロナ禍前の節分 (聖護院)

コロナが蔓延する前年に聖護院で撮影。
ギャー!と叫ぶ女性の表情を見て赤鬼も驚いています。
コロナよ、早く退散して!

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

女性のインパクトある表情と、赤鬼が驚いて一瞬我を忘れたかのように見える姿に、思わず大笑いしました。
聖護院の節分という非日常的な場と時でありながら、行事と人々の生活が一体となっている自然体の京都が、女性と赤鬼の一瞬の出来事を通して捉えられた作品のように感じます。


京都百景Vol.46 雪の詩仙堂

詩仙堂は、江戸時代の文人・石川丈山が晩年を過ごした山荘跡です。
今回は有名な庭園とは逆の仏間にカメラを向けました。
障子の美しさが背景の雪と「美」を競い合っているようです。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

障子の白と雪の白が映えあっているだけでなく、様々な明るさの白の交響という印象を受けました。
いかにも文人の住まいの凛とした冬でありながら、白の響き合いと明暗に冷たさはなく、仄かな温かさを感じます。
視線が、屋内の白と僅かな雪景色の白を行きつ戻りつ、交響を楽しみながら、外の雪景色へ行き着き、縁先に出て見渡す庭は想像の中に広がる景色です。
丈山の心を満たしたであろう「豊かな閑寂」のようなものを感じ、これは、ある雪の日、丈山の目に映った風景なのではないかと思いました。丈山の心が捉えた風景と感じます。


京都百景Vol.45 雪の貴船神社

白い雪にはやはり朱塗りのお社が良く似合いますね。本宮にお参りする石段を上から見下ろして撮影しました。
貴船は避暑地で有名なだけに市内に雪がなくてもここまで来れば結構雪に出会えます。画面を真っ白にせずに朱の色をどこかに取り入れましょう。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

貴船神社の写真は石段の途中から上を仰ぎ見る構図なので、上から見下ろした構図にとても驚きました。
上端から下がっている垂(しで)が視線を下方の石段、雪に向かわせ、本宮の高さと雪の迫力を強く訴えかける効果になっていると感じます。
それは、やはり、仰ぎ見るよりも、神宿る本宮から神の目で、雪景色のかなたに地上を見下ろした構図と(見上げると人間の目になると思います)、白と朱の絶妙なバランスによるのだと感じます。


京都百景Vol.44 寒夜の大覚寺

紅葉も散り果て境内に人はいなくなりました。
これから寒い夜が続きますがお堂に吊り下げられた灯りが心を温かくしてくれます。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

画面を囲む暗さから、やや明るさのある空へ、そして灯りへと、明暗の変化が視線を誘導すると同時に画面を引き締めていると思います。
この求心力によって、灯りが一層温かく感じられるのではないでしょうか。
観光客のいる昼間とは別の大覚寺を見たようで、灯りが働きかける力の不思議を楽しみました。
屋根や樹木の暗さと、切り取られた空の色の対比も美しいと思います。


京都百景Vol.43 燃ゆる秋

智積院(ちしゃくいん)は真言宗智山派の総本山です。いわゆる観光寺院ではないのでいつでも静かに参拝できます。
金堂の五色の幕が鮮やかな紅葉をさらに引き立てており、まさに「燃ゆる京の秋」ですね。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

紅葉と人工的な色彩の取り合わせは似合わないと思っていましたが、この写真を拝見して、それは思い込みだと気づきました。
おめでたい五色の幕の鮮やかな色彩によって、かえって紅葉がより引き立って、燃えるような真紅に生命力を感じます。
左下のわずかな暗い部分と、幕の画面両端が共に赤で区切られているのが、画面を引き締めているのではないかと感じ、画面を演出する感性に驚嘆しました。


京都百景Vol.42 銀閣寺庭園

ガイドブックでよく見る構図ですが、モノクロームでしかもハイコントラストで表現しました。手前から砂紋の銀沙灘を広く取り入れ、中ほどに白く光るのが向月台、そして右奥に見えるのが国宝の銀閣(観音殿)です
外国人に人気の金閣寺とは正反対の「侘び寂び」の世界。善阿弥、相阿弥が作庭に携わったとされていますが現代にも通じるモダンな見せ方はさすがですね。

(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

モノクロ、ハイコントラストで砂紋が強調されているので、現代人から見ても斬新な銀砂灘のデザイン性の魅力を再発見できました。
また、「わび」「さび」は今の私たちには伝統的な文化ですが、この砂紋が創られた時には、革新的な美意識だったろうと思います。
室町という時代の面白さ、革新が伝統になる文化の面白さを感じます。


京都百景Vol.41 老舗旅館の庭先

文豪が定宿にしていたというだけに屋内の設えはすばらしいものです。それは庭先もしかり。その文豪が曰く「目立たないこと、変わらないことは古い都のいいところだ」・・ずっと守って行きたいものです。


(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

沓脱石と、そこに置かれた庭下駄は、目に端正に映るだけでなく、下駄を履いたら、自然と無理なく地面に足を下ろせるであろうと想像できます。
文豪曰わくの「目立たない」とは実は「計算し尽くされている」こと、「変わらない」とは「理に叶っているから」の結果なのではないでしょうか。
そこに生まれる視覚的な「美」「緊張感と安らぎ」が都の文化の本質ではないかと思います。

「目立たないこと、変わらないこと」が目的なのではなく、私たちの心を真に満たすものを大切に考える時、「目立たないこと、変わらないこと」を守ってゆく意味が見えてくるのではないでしょうか。


京都百景Vol.40 秋の夕暮れ

残照の八坂の塔と十五夜の月(今年は921)。塔は西を向いて撮影していますが月は空に向かって望遠レンズで少し大きく写しています。これほど晴れ渡ることは珍しく、やはり空気が澄む秋の空です。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

残照のグラデーションの息をのむような美しさ、黒い八坂の塔の昼とは別の神々しさと、月の神秘が調和して感じられるのは、月が望遠で大きく写されているからだろうと思います。

撮影のテクニックによって、ある意味で真実でない写し方をすることで、見る者の心情を揺さぶり、表現としての真実になる面白さを感じます。


京都百景Vol.39 南禅寺伽藍

南禅寺境内を近くのホテルから撮影。
石川五右衛門が山門から「絶景かな、絶景かな!」と感嘆した頃とほとんど変わらない
絶景」を現在も見ることができるなんてすばらしいことですよね。


(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

南禅寺は何度か拝観し、広大な寺院のイメージを持っていましたが、この写真で伽藍のスケールの大きさを初めて実感し、圧倒されました。
幾つもの伽藍が緑に抱かれて、屋根しか見えていないことで、南北朝時代の天皇たちとかかわった寺の歴史のドラマにも想像をかきたてられます。

被写体をどこから、どの範囲で捉えるかによって、被写体はより豊かなメッセージを発するのだと感じる写真です。


京都百景Vol.38 京の地蔵盆(嵯峨野)

愛宕古道街道灯し」は嵯峨の地蔵盆を盛り上げるため、いまから二十年ほど前に古い町並みが残る街道沿いに、行灯の灯りを点したのがはじまりです。この写真は昔から「嵯峨の地蔵盆」として紹介される地蔵さんです。
この日はあいにくと土砂降りの雨。でもそのおかげで提灯が濡れた路面に反映して見事な輝きを見せてくれました。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

路面の幻想的な輝きに、光の癒しを感じます。画面の左右に闇の深さが映し出されていることで、光が一層輝きを増して、見る者を惹きつけるのでしょう。

どしゃ降りの雨に濡れても、この風景に出会えた人の心は、切なくも、どんなにか浄化され満ち足りたのではないかと想像します。


京都百景Vol.37 京の夏(朝顔)

出町商店街で撮影。朝の爽やかな風で揺らぐ朝顔です。涼風を感じるようスローシャッターで花をブラしました。背景の白いレースと明るい緑で涼しさを感じていただければ・・。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

朝顔が風に揺らぐ姿は新鮮で、一瞬の涼を感じました。画面の中で風が動きます。このような朝顔の風景は、京都以外にもあると思いますが、朝顔の揺らぎが「京の・・」なのだと思います。
いかにも京都らしい背景と写っていれば「京の夏」になるわけではなく、また、京都らしい背景ではないから「京の夏」と感じられないわけではないことを発見しました。


京都百景Vol.36 京の七夕(旧暦)

北野天満宮で撮影。華麗さはありませんが竹林の中にたたずむ素朴さがまさに「京の七夕」ではないでしょうか。




(文様文化講師 山口貴実代先生より)

一面の竹の緑に、短冊が僅か数枚だからこそ、その色が映えて、控え目でありながら見る者の心を動かす、まさに「京の七夕」と感じます。華やかなものだけではなく、本質を残して他を削ぎ落とした、磨き抜かれた素朴も京都らしさ、都ぶりなのだと気づかされます。
琳派のような余情の内に、竹の神秘に託された短冊の願いに心を遊ばせ、「京の七夕」をこのように捉えた目は「京の写真家」なのだとの思いを強くしました。

京都百景Vol.35 大原雨情

「平家物語」の謡曲「大原御幸」に謡われている大原の里。壇ノ浦で平家が滅びた後、寂光院に隠棲された建礼門院を後白河法皇が訪ねた時もこのような雨模様だったのでしょうか。


(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

集落が遠景で撮られているので、人々のリアルな生活への想像よりも、いにしえの建礼門院への想像を誘われます。想像を呼び起こす大きな効果は、漂う雲の表情にあると感じます。
写真は一瞬の視覚の表現なのに、この雲は動き出し、遥かな時間を超えて、建礼門院の、後白河法王の「モノガタリ」を聞かせてくれるかのようです。
美しい景観と歴史的な出来事は分かちがたく、美しい景観が歴史を思い起こさせ、歴史が景観の美しさを再発見させてくれるような気がします。そこに京都の風景を鑑賞する醍醐味があります。



京都百景Vol.34 秀麗 比叡

百人一首で有名な慈円は、比叡山について「世の中に山てふ山は多かれど、山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」と崇め詠みました。伝教大師最澄が延暦寺を開創して1,200年になりますがほとんど変わらぬ姿を見せています。

日本で最初の国立国際会議場ができた左京区宝ヶ池から見た朝の情景です。


(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

比叡山の上に射す朝日は、まさに伝教大師最澄と感じました。
無数の光線を放つ朝日は最澄の慈悲に見え、1200年を超える都の一日一日を、比叡山から見護り続けてきたのだろうと思います。
山は小さな遠景なのに、強い求心力で目を引きつけるのは樹木に囲まれた構図によるものでしょう。
モノクロにやや近い印象の画面に、水墨画を見るような安らぎを覚えました。



京都百景 vol.33 早乙女(さおとめ)  

雅楽の調べと巫女の踊りに合わせて早乙女が苗を植えていきます。
この八坂神社御田祭(おんださい)は京丹波町尾長野の八坂神社で始められました。

赤襷(あかだすき)に白手拭(しろてぬぐい)、そして菅笠という鮮やかな着物姿がご神田に映えます。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

早乙女の装束の赤と白から、田植えが単なる農作業ではなく、神聖な行事であることが伝わってきます。そして、同じ装束の三人が並んで赤と白が繰り返されていることで、この場の厳かな雰囲気が、より強調されているように思えます。さらに三人の動作が少しずつ異なっていて、田植えのリズム感があり、画面に動きを感じました。

これも京都百景の中の一景と思うと、京都の文化の多様性を感じるとともに、多様性を貫く雅、艶に気付かされます。


京都百景 vol.32  「老舗のウインドー」

聖護院付近で見かけた老舗のウィンドー。花車、ツツジが咲く庭園、赤い鼻緒の草履などが可愛く並べてあります。それがなんと畳の上に展示されているのです。窓辺に今の季節を凝縮して見せるセンスがこのお店の風格を物語っています。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

春には自然界の春と、人の心と手で創られた春があり、二つの春の響き合いを楽しみ、春の情趣を育んできたように感じます。赤、桃色、緑がいかにも春らしい色彩で丸盆の中で映えています。

小さなお盆の中ゆえに、自分も小さく小さくなって、春のユートピアに迷い込んでしまい、まさに小宇宙を感じました。


京都百景 vol.31  「花祭り」

花祭りは釈迦の誕生を祝う仏教行事で毎年48日に行われます。
正しくは灌仏会(かんぶつえ)と呼ばれ、誕生仏に甘茶をかけて祝います。

ちょうど一年前、二尊院では花に囲まれたお釈迦さまが疫病退散を願ってやさしく佇んでおられました。



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

誕生仏も後ろ姿とは!! 意表を突かれました。

何と愛らしいのでしょうか!!

お顔が見えないからこそ「見ることができる」愛らしさ、姿態の初々しい清らかさお釈迦様は、本当にこんなふうにお生まれになったのだと、思いました。


京都百景 vol.30 「隨心院の春」

桜に見えますがこれは遅咲きの「はねず梅」。
遅咲きですので3月いっぱい楽しむことができます。




(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

随心院のはねず梅は、その温かなはねず色で、見る者を包み込んでくれるかのようです。無彩色、端正で硬質な屋根瓦の緊張感と常緑樹が背景にあることで、梅の変化に富んだ色彩と枝振りが引き立って、はねず梅の優しく明るい魅力が伝わってきます。


京都百景 vol.29 「祇園の春」

一昨年に撮影会でお邪魔した祇園の津田楼で撮影しました。
障子と躍動感あふれる花との組み合わせがこの店のセンスの良さを物語ります。




(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

直線で構成されている障子に、正に躍動感ある花を取り合わせるセンス。そして赤と白の潔さにも、目を奪われました。丸窓には控え目な生け花を合わせたくなるのが定番でしょうが、大胆な取り合わせに破綻がなく、京都の美意識のもう一つの顔を知る思いです。

窓が花を生かし、花が窓を生かして創られた空間の美が、この写真から生き生きと感じられます。


京都百景 vol.28 「雪の竹林」



竹は冬でも雪の中で青々としています。
嵯峨野の広沢ノ池付近で撮影。雪の写真は普通は暗くなるのですが明るく撮影したので爽やかな写真になりました。


京都百景 vol.27 「上賀茂神社」

上賀茂神社は国宝2棟、重要文化財41棟を含む境内全域が世界文化遺産に登録されています
一対の立砂は秀峰「神山」を象ったもので美しく雪化粧をしていました




(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

上賀茂神社の立砂は、雪化粧でこのように神々しい姿を見せるとは、とても新鮮です。
華やかな餅花と厳かな立砂、どちらも冬の京都を象徴する形であり、意味なのだと感じます。


京都百景 vol.26 年賀 令和3年元旦

八ッ橋の老舗に飾られていた餅花(もちばな)です。
餅花は縁起の良い飾り物で、紅白の餅や団子を小さく丸めて木の枝に付けて作られますがこれほど華やかな餅花はあまり見られません。




(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

「八ツ橋」の餅花の上品な華やかさには現実を忘れます。
門の奥に見える建物の庇、窓の格子、庭木などの奥行きと餅花が、引き立てあっていると感じます。
門の中の奥行きによって、中に暮らす主の、このような見事な餅花を飾る心持ちに、思いを馳せたくなります。
       


京都百景 vol.25 「京都府立植物園」

日本で最初の公立植物園として約100年前に開園。
年間90万人の入園者数は日本の公設植物園で最も多く、
クリスマスイルミネーションではこのような幻想的な写真が撮影できます




(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

京都の植物園に、このような幻想的な風景があるとは
知らない京都を「京都百景」で楽しめるのは幸せです。


京都百景 vol.24 「大原女(おはらめ)」

平家物語ゆかりの地大原の里
この写真は晩秋ですが「春の大原女まつり」の大原女時代行列で撮影することができます




(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

頭に載せた柴の影が、モノクロによる表現でその魅力を堪能しました。影だからこそ、晩秋の柔らかな日射しの色、暖かさまで感じます。
観光的な大原女の写真とは全く異なる視点によって、冬に向かう風物詩の情緒がしみじみと感じられます。


京都百景vol.23 「月」

中秋の名月と八坂の塔 月に叢雲(むらくも)も良いものです



(以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

叢雲の月の情趣に、京都の、日本の美意識の極みを見る思いでした。
一目拝見して、「徒然草」の「花は盛りに、月は隈無きをのみ見るものかは」が思い浮かびました。花は満開のときだけを、月は曇りがないのだけを見るものであろうか、いやそうではない。雨に向かって(見えない)月を慕うのも情緒があると。

月はどこで眺めても同じ月ながら、このような風景があり、京都はかけがえなき場所と、しみじみ思う次第です。                    


京都百景vol.22

五山の送り火(点火順)

本年はコロナ対策で一部分しか点火されないので過去の写真をアップしました

大文字



妙法



舟形


左大文字 火床 (協力 左大文字保存会)



鳥居形



 (以下文様文化講師 山口貴実代先生より)

大文字の写真を5点も拝見でき、贅沢な送り火となりました。

「舟形」は川面に映る灯りによって、お精霊さんが舟に乗って帰ってゆくようなイメージを、一層かきたてられました。

天空に浮かんでいるような「鳥居形」の神々しさも幻想的です。

「妙法」と、その下に沈む街の灯りを見ていると、「妙法」が京の街を温かく護っているように感じられ、京に生きる一人一人に送り火への思いもあろうと、愛しさまで感じます。

火床に奉仕される方々の重労働、熱さは想像を絶することでしょう。単なる作業ではない、祈りだからこそ、この行事が何百年続いてきたことを、火に顔を染めて合掌する姿が語っているように感じました。

京に生きた人々を宗派を超えて送る大文字は、本当に素晴らしい行事だと、毎年思います。


京都百景 Vol.21

鎖 樋

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屋根の雨水を地上に流す役目をする「樋(とい)」は「とゆ」や「雨樋」とも呼ばれます。
この鎖樋(くさりとい)は雨水が鎖を伝うように流れ落ちるのを目で見て楽しむもので、京都の社寺や和風建築で見ることができます。
梅雨時の情緒をモノクロームで表現してみました。


京都百景 Vol.20

純白の紫陽花

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梅小路公園にある「朱雀の庭」で撮影。長い歴史の中で培ってきた京都の作庭技術、技法の枠を結集し、伝統と創生の調和をめざして作庭された平成の日本庭園です。

その片隅に咲いていた紫陽花をモノクロで表現するとご覧のように白と黒のハーモニーの中にカラーにはない力強さを感じました。


京都百景 Vol.19  

新緑と花の競演

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天龍寺の庭から方丈に向かって撮影。柱間で画面を引き締めました。方丈に座って庭を見るのとは趣が異なります。人が写っていませんが、数年前に多くの観光客の切れ目をねらって写したのが懐かしく思い出されます。訪れる人がいない今年もツツジの花は咲き誇っていることでしょう。


京都百景 Vol.18  

萌える

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ある雑誌の取材で訪ねた時に撮影した清水寺三重塔です。非常事態宣言で参拝者が少ない今でもこのように美しい若葉が萌えているのでしょうね。


京都百景 Vol.17 

 惜 春

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八坂の塔と花吹雪を多重で重ねて見ました。例年通りの美しい花を咲かせた桜たちよ、今年はコロナのために花見もできない春でしたが来年は大勢で見て楽しむからね。


京都百景 Vol.16 

 春爛漫

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京の桜と言えば御室仁和寺が有名ですが、その仁和寺のすぐそばに五智山蓮華寺があります。
仁和寺の駐車場から満開の桜が見えたので石段を上がってみたところご覧のように見事な桜でした。やはり遠くから見上げただけではダメで近づいてみなければいけないということを痛感しました。


京都百景 Vol.15 

 はねず踊(隨心院)

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花笠を被りはねず色(白色を帯びた紅色の古名)の段絞りの小袖を着た少女が踊ります。
隨心院は小野小町の住居跡といわれ、遅咲きのはねずの梅が咲き乱れる庭園で行われる少女達の童唄と踊りは、とても華やかです。

京都百景 Vol.14 

 出雲大神宮の縁 (えにし)

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出雲大神宮は京都府亀岡市千歳町にあり、京都市内からJRとバスを乗り継いで約1時間の ところにあります。
『徒然草』に記載されているというから歴史は古い。
縁結びの神様として名高く、ご覧のように若い女性のハートがキュンとくるよ うな絵馬がかわいいでしょ?
ファインダーをのぞいて思わずほほ笑んでしまいました。

京都百景 Vol.13 

 北野の初雪
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北野天満宮の注連縄(しめなわ)に降る初雪です。
注連縄と紙垂(しで)を拝むだけでも清々しいのに新春はなおさらです。
それに純白の雪が加わり、さらに気持ちを引き締めます。

京都百景 Vol.12 

 西陣

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路地が入り組んだ西陣ならではの夕景です。
昨今の和装離れにより帯の需要が減り、ご覧のような町家も数少なくなってきました。
このままではいけないと町家をリニューアルしてレストランにしたりギャラリーにするなどの京都市と市民の努力が実り、少しずつ「京都らしさ」が戻ってきたのはうれしい限りです.

京都百景 Vol.11 

 和菓子

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この写真は紅葉の時期に公開される二尊院のお茶室「御園亭」で出された和菓子です。お菓子に添えた干菓子も紅葉の形をしていますが、真赤な一枚の紅葉がお菓子よりも存在感がありますね。
四季を愛でる、とはこのことで爽やかな風にそよぐ紅葉を見上げながらいただくお茶と和菓子は格別です。
ぜひ秋の京都へおこしやす・・

京都百景 Vol.10 

 時代祭

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京都三大祭りの一つ、時代祭は例年は10月22日に執り行われますが本年はこの日に「即位礼正殿の儀」が行われるため10月26日に変更されます。
ピーヒャーラドンドンドンという太鼓・笛で有名な鼓笛隊(維新勤王隊)が先頭を務めます。この音イコール時代祭と思うほどインパクトがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=tcuhDuahp-k
明治維新の際、丹波の国北桑田郡山国村(現:京都市右京区京北)の有志が山国隊を組織し、官軍に参加した当時の行装を模したものです。

普通は京都御所を出発する写真が多いのですが、平安神宮に帰る時の写真がこれです。オリンパスの「アートフィルター」で空をドラマチックに表現しました。

京都百景 Vol.09 

 神祀る

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石清水八幡宮の勅祭(9/14〜16)を取材中に撮影したカットです。
9月15日の午前6時前、祭事が執り行われている頓宮(とんぐう)に朝日が射して注連縄と紙垂(しで)が神々しく輝きました。
このように想定外の瞬間に出会うことがあるので決して油断しないように!

京都百景 Vol.08 

鵜飼船

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現在のように冷房がない時代には川面に船を浮かべて涼をとるのが粋だったのでしょうね。
鵜飼船に乗って撮影するのも良いのですがこのように川岸から出発前の鵜飼船を撮ると暗い川面にかがり火が映えます。
場所は嵐山。夕暮れ時に撮影するのがベストです。

京都百景 Vol.07

 祇園祭の駒形提灯

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前祭(さきまつり)の郭巨山(かっきょやま)の駒形提灯です。
宵々々山(7月14日)ならそれほど混雑しないのでお勧め。
背景の瓦屋根が提灯にお似合いですが、ビルの谷間にいつまで保存されるのか心配な限りです。

京都百景 Vol.06 

町家の庭

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京都百景 Vol.05 

和風文様

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旧三井家下鴨別邸の玄関にある衝立(ついたて)に彫られた和風文様です。
桜が散り新緑に移る過程がシンプルに表現されていますね。
このような「カタチ」にはモノクロームが適しています。
「随想 第89回 水墨画と白黒写真」でモノクロの魅力を述べていますのでぜひお読みください。

京都百景 Vol.04 

舞妓

 

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モデルの舞妓(現在は芸妓)は宮川町の「とし真菜」さん。
きれいな舞妓さんは後姿もいいですねぇ。
卯月の簪(かんざし)が陽光に輝いていました。

京都百景 Vol.03 

料亭の灯り(西陣魚新)



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京都百景 Vol.02 

八坂の塔

 

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京都百景 Vol.01 

仁和寺

 

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