カメラに興味を持って60年、カメラを仕事にして半世紀になる。その間に果たして何台のカメラと出会ったのだろう。
子供心に感動した「日光写真」から始まり、おもちゃのようなカメラを買ってもらってそれが結構写るのでますます深みにはまり、一眼レフを手に入れてからはどんどんエスカレート。カメラ雑誌の月例コンテストや各種コンテストに入選するたびにもらえる賞金などでいろいろなレンズをそろえることができた。
まだカメラで飯が食える時代とはいえなかったのでサラリーマン写真家になると親を説得して美術印刷会社の写真部に入社。そこでプロの厳しさを教え込まれて独立するがまだまだ独り立ちはできない。しかし何とかカメラで生きていきたいと必死でスポンサーを探し、観光出版会社の専属カメラマンとなり全国を巡る。
このあたりの遍歴はこちら↓
https://souda-kyoto.jp/knowledge/kyoto_person/vol28_01.html
それから20年ほどは大型や中型のプロ用フィルムカメラとのお付き合いが続く。メインの4×5インチカメラをはじめ6×7、6×6など約15種類のカメラと膨大な数のレンズを今でもすべて覚えている。
その後、完全なフリーランスとなって世界を飛び回るが大きくて重い機材は変わらない。空港の手荷物検査場での重量計測は20キロを超えると追加料金がかかるので毎回冷や汗ものだった。
カメラがフィルムからデジタルへ変わる頃に写真教室の講師となりメインが35ミリカメラとなる。
オリンパスの講師も引き受けることになってからは同社のデジタル一眼E-1からE-5までの5機種を使用。
そして、それまでの一眼レフの宿命であるミラーを省略したおしゃれなPEN
E-P1が発売されるとすぐにパリへ出かけて軽快に撮りまくった。
その使用リポートがこちら↓
フォトレッスン取材記の「PENで写すPARIS」へ進んでください
その後はミラーレスが主流となり、ボディだけではなくレンズもさらに小型軽量になってOM-D
E-M1が発売されるとほとんどの撮影をこれ一台で済ませた。メンテナンスの時に5年間で12万回もシャッターを切っていると聞き驚く。そしてショルダーストラップがボロボロですよと言われてさらにビックリ。それまで全く気付かなかったのだ。
「OM-Dで撮る京都の四季」はこちら↓
https://fotopus.com/travel/magazine/02/
その後に発売されたE-M1
MKUを併用しているがE-M1も現役である。
これほどまで愛用したカメラは初めてで、E-M1
MKUが息子ならE-M1は我が身のようだ。
受講生にもE-M1の愛用者が多く、「歴史あるこれほどの名機のほぼ最終モデルを使えることが出来てよかった」とのメールが届いた時は胸が熱くなった。
オリンパスは得意の小型化技術を生かし、数々の名機を生み出した。
生涯の中で最も多くシャッターを切ったカメラメーカーが今年一杯で映像事業から撤退するのは寂しいが、いつの日かまた画期的なカメラを作ってほしいと願っている。
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