随想 第115回  アリとキリギリス

ご存知の方が多いと思いますが、イソップ童話のひとつである「アリとキリギリス」。
アリは勤勉な働き者で、キリギリスは遊んでばかりの怠け者。ヴァイオリンを弾き、歌を歌って過ごしていると、やがて冬がやって来ます。
食べる物に困ったキリギリスがアリのところにやって来て「どうか食べ物をわけてください」と頼むと、親切なアリはキリギリスに食べ物を分けてやります。反省したキリギリスは、心を入れ替えて働き者になりました・・というのが日本で知られている結末です。

ところが原典では、アリはキリギリスに頼まれても「夏に歌っていたのなら、冬は踊ったらどうだい」と言って、食べ物をあげなかった。
「食べ物をもらったので、改心した」という結末は、真面目で親切な働き者の日本人の気質にピッタリだったのでしょう。

では、食べ物を分けてもらえなかったキリギリスはどうなったのかといえば「歌うべき歌は歌い尽くした。私の亡骸(なきがら)を食べて生き延びればいい」と言ってそのままアリの家の前で凍え死んでしまうのです。

これが寓話の古代ギリシャ時代のオリジナルとされる顛末(てんまつ)です。この物語では、アリは戦略的に食料を蓄える一方で、キリギリスは無計画に遊んでいたと捉えられがちです。しかしキリギリスは、実はすべて見据えたうえで、生きている時間を命がけで楽しんでいたのだとしたらキリギリスの生き方にも一理ある。そんな気がしてきたのです。

もちろん真面目に働いて、将来に備えることは大切です。でも「自分は心からやりたいと思ったことをやり尽くした」と言えるのなら、それはそれで幸せな一生ではないでしょうか。

この顛末を読んで、今まで真面目で働き者の日本人として生きてきた自分を少し考え直す気持になりました。特にアートの世界では私の尺度では許せないような奔放な生き方をする人がいますが、キリギリスだと思えばそれもあり得るのです。

キリギリスの一生を思う時、残り少ない時間で「心からやりたいと思うことをやり尽くそう」と思うのですがダメでしょうか?