山紫水明…美しい言葉である。山が紫色に映え、水が清らかに明るく澄んでいることをいう。昔から京都は、山紫水明の地と呼ばれてきた。
140万人を超える人々が住む大都市でありながら、その中を流れる鴨川には鮎が棲み、北区の深泥ヶ池には多種類の水生植物が群生して天然記念物に指定されている。
上の写真は左京区にある宝ヶ池公園で撮影したもの。美しいのは宝ヶ池という名前だけではない。澄み切った水の背後には比叡の秀峰がそびえ、池畔にはわが国最初の国際会議場がたたずむ。この風光を見れば京都議定書を採択した「地球温暖化防止会議」がこの地で開かれたのもうなずける。
江戸時代後期の日本を代表する漢学者で、歴史・文学・美術などのさまざまな分野で活躍した頼山陽が終(つい)のすみかとしたのも京都だった。上京区の東三本木丸太町の水西荘に転居してから、邸内に書斎の山紫水明処(国の史跡)を建て、終日東山連峰と鴨川の水とをながめながら書画に励んだといわれている。
「あなたはずっと京都に住めていいわねぇ…だって芸術って素晴らしい環境の中で生まれるものでしょう?」と言ってうらやましがるのは、嫁いでから関東に住むクラスメートのTさん。多くの芸術家が京都に住むことを見ても、環境が作品に影響を与えることは確かにある。
母校の大学でも、本部がある京都よりも東京や札幌などの支部の方が校友の結束は固い。離れた地にいることで京都への思いがより強くなるのであろう。京都を研究する学者に京都生まれが少ないのも、よその人の方が京都の良さが見えるからではなかろうか。
首相が掲げた「美しい国、日本」。京都がそのモデルでありたいと願うが、環境が徐々に破壊されている。これ以上環境破壊が進めば、日本の自然は「山死水迷」となりかねない。
(京都新聞 10月11日掲載)
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