先日、中国からのお客様を囲む会合に出席した。料理はもちろん京料理。各自の席に置かれたお盆には満開の桜が描かれ、すっかり花見の気分になる。
仲居さんが盃に食前酒を注いで回り、春野菜や旬の魚など季節を彩る料理が次々と運ばれてくる。他府県から来た友人はきれいな器と盛り付けに感動し、食べるのがもったいないと言った。料理の真髄「京」にあり、である。
私の「食歴」は大したことないが、社会へ出てから宴会などの機会が増え、次第に興味を持つようになった。味にまったく関心のない人よりも興味を持つ人と一緒に食事する方が数倍楽しいことも覚えた。
その後、海外へ出るようになると「食への思い」はエスカレートするばかり。別に高級料理にこだわったわけではなく、その時々に「食べたい料理」の店を探して歩いた。やっと見つけた時の喜びは大きく、出会いに感謝しながら食事を楽しんだ。
食べることにこだわることは大切なことである。口に運んだものをゆっくりとかみしめる至福の時…。五感のひとつである「味覚」に敏感な人は感性が豊かに思える。
実際、作家や芸術家には食にこだわる人が多い。たとえば陶芸家の北大路魯山人は料理研究家としても有名で、食器用に斬新な意匠の陶磁器を製作した。それには及ぶべくもないが、「花と酒」のイメージを撮影してみた=下の写真。
東京などで京料理を食べることもあるが、京都人を満足させる店は少ない。やはり伝統の技を持つ職人が京都にしかいないのか、器の選び方や盛り付け・味付けなどが微妙に違うのだ。
京都の伝統と技は芸能や工芸だけでなく、料理にも生きているのである。京都に住めることをありがたく思う。
さて今宵のご馳走は?
(京都新聞 2007年5月9日掲載)
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