梅雨明けが遅れたことに加えて大型台風が二つもやって来て、真夏の青空をさほど見ることなくお盆を迎えることになりそうである。
お盆とは正しくは盂蘭盆会のことで、時期については地方によって異なるが京都では十三日を迎え盆、十六日を送り盆と言い、十三日から十六日までの四日間をお盆の期間としている。
お盆には、先祖や亡くなった人たちの精霊が灯りを頼りに帰ってくるといわれ、十三日の夕刻に仏壇などに盆提灯を灯し、精霊を自宅に迎える。そして十六日の夜には送り火をたき、帰り道を照らして霊を送り出すのである。
上の写真は京都市中京区にある壬生寺で撮影した。お盆の間、万燈供養会が営まれ、奉納された灯ろうがすべて点灯される。数え切れないほどの灯ろうに照らし出された本堂は荘厳である。
さて、私たちは神仏の前に立つと思わず手を合わせて、いろいろな願い事をする。他の宗教も願いは同じはずなのに宗教間の争いがいまだに絶えない。
本来、信仰というものは、個人の心の中にだけ存在すべきもので武器によって守ったり、権益の争いの道具に使ったりするものではない。二宮尊徳が話した次のような例え話がある。
「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。神道、仏教などいろいろあるが、これらは何れも、真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。入り口がいくつあっても、最終的に到達する場所は一つである。」(「二宮翁夜話」より)
世界中すべての人がこのことを理解し、お互いの宗教を尊重し合わない限り宗教戦争は終わらない。つい先日開催された比叡山宗教サミット二十周年式典で、宗教間の対話が平和につながることを確認し合い、「平和へ和解と許しを!」の声明が出されたことは意義深い。
今年のお盆は先祖の供養だけでなく全世界の平和を祈願したいものである。
(京都新聞 2007年8月8日掲載)
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