私事で恐縮だが先日、息子が結婚した。京都に住む人間としては神社などで和風にして欲しかったが、若い二人は今はやりの「洋式」を選んだ。式は教会で挙げ、披露宴(というよりもパーティー)も同じ建物内で行なった。
讃美歌の中を新婦と手を組んで歩む父親がその役を新郎に代わり、二人が牧師と参列者の前で永遠の愛を誓う。式を終えてチャペルから出てきた二人を参列者がフラワーシャワーで祝福し、祝いの言葉をかける。
その後の披露宴はもっとラフになった。友人たちが次々に祝辞を述べるがビデオカメラが目の前に迫っても少しも物怖じせずに面白おかしく語る。二人が企画したイベントなどもこちらが感心するほどの内容で見ていて結構楽しい。
続いて二人それぞれの生い立ちのビデオが放映される。幼少から出会いまでが数々の写真で構成され、会場から「オオー!」と歓声が起き、宴がさらに盛り上がる。昔の披露宴と違い、まず本人たちが楽しく、参列者も心から楽しめるようになっている。こういった形式がはやるはずである。宴が最高潮となったところでいよいよ最後のセレモニーとなる。
二人からそれぞれの両親に「感謝の言葉」が贈られ、賑わっていた会場が静寂に包まれる。両家を代表して新郎の父親が参列者に謝辞を述べる。私の出番だ。
話したいことがいろいろあったがこの時ばかりはカタチ通り簡略に、とワイフから言われていたので必要最小限で終えた。これで宴は無事に終了した。
話したかったこととは次のことである。
結婚すればそれまでと違いお互いに譲らなければならないことが多々ある。異なる家庭で育った者が一緒に暮らすのであるから意見が異なり、衝突もするだろう。自分が正しいのに…と腹立つことがあるかもしれないが相手もそう思っているのである。
こうして譲り合ったり、相手を認めたりしているうちにそれぞれが持ち合わせていなかった知識が加わり人格が形成されていく。数量で言えば1しかなかった人間が1.5倍となる。二人合わせれば3である。つまり、普通の夫婦なら1+1=2であるが、協力し合う夫婦なら1+1=3となる。
そういえばこの1年で息子がずいぶん優しくなった。彼女の家族と付き合うことで自分の家族のことも考えるようになったのだろう。せっかく縁があって結ばれた二人ならお互いを理解しながら、より大きな人間になって欲しいと思う。
式場では言えなかったので失礼ながらこの場を借りて言わせていただいた次第。
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