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先日久しぶりに奈良写真美術館を訪ねた。奈良を愛しその風物を撮り続けた写真家・入江泰吉氏の功績を記念し開設された美術館である。 作品を一通り鑑賞してからハイビジョンルームで動画のように構成された映像を見てプリント作品とは異なる感銘を受けた。
そのあと売店で一冊の本と出会った。それは10年前にこの美術館で「土門拳と入江泰吉二人展」が開催されたときの図録である。この二人は私が最も影響を受けた写真界の巨匠で、その写真展を知らなかった自分を恥じた。これを機会に二大巨匠を改めて見つめることにした。
土門拳は対象をぎりぎりまでクローズアップし、レンズの絞りを最大に絞って鮮鋭にピントを合わせる作風で知られる。作画に一切妥協がなく、その撮影行動から「鬼の土門」と呼ばれた。
対象を鋭く切り取った作品と写真雑誌「フォトアート」や著書「死ぬことと生きること」などの評論から多くを学んだ。
入江泰吉は土門とは対照的に柔和な性格で、その撮影態度で「仏の入江」と呼ばれた。何度か撮影現場でお会いしたが、紳士的な行動にはいつも感心させられた。詳細は「第22回 撮影マナー」をお読みいただければ氏の人柄がわかっていただけるだろう。
氏はあまり文をお書きにならないので作品から学んだことが多い。
今回の図録で改めて考えさせられたのは、画面に「情緒」を取り入れるかどうかが二人の分かれ道だということ。土門は対象物に近づき迫るのが信条で、余分なものはほとんど入れない。
対して、入江は対象物だけでなく背景などを取り入れ、対象物以外はピントを浅くしてぼかす。そうして叙情豊かな作品に仕上げているのだ。
京都を本格的に撮り始めてからの私は意識しなかったが入江の撮影法に近似している。
この図録の中で寂聴氏が 「入江泰吉氏の大和は、現実の大和以上に美しい。入江氏のレンズの魔法をかけられると、山も野も寺々の塔も(中略)その昔のまほろばの大和に立ちかえってしまう。」 と書いておられる。これを読んで「入江氏」と「大和」が私の名と京都に変わるように努力せねば、と思った次第である。
なお、この図録の正式名称は「平城遷都1300年記念 土門拳・入江泰吉二人展」である。二人の作品が並べて掲載されているため、作風の違いがよくわかる。売店で2,500円ほどで購入できるが、遠方の方は購入方法を電話かFAXで問い合わせて欲しい。ぜひご一読を。
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