第88回 奥田元宋の願い
  
奥田元宋といえばだれもが知る日本画家です。文化勲章の受章者で、日本芸術院の会員でしたが2003年に91歳で亡くなりました。
70歳の頃に刊行された奥田元宋画集「わが山河」で次のように述べています。

「若年の頃の思想は陶冶され別の形で老年に巡って来るような気がする。それは形は全然別でも、ある共通の若年の頃の空気をもたらすような気がする。
大自然の山河を前にしてうかうかと過ごした自分の来し方を振り返って、懶惰(らいだ)と非力をなげくのみであるが、何物か自然の中に見出し自分なりの境地を大切にして生きたい念願仕切りである。」
私も同じ年代になってこの言葉に感銘を受け、このような願いを持つようになりました。

元宋はその後の20年間、水墨画の世界に「元宋の赤」といわれる独特な赤色など多彩な色使いによる色彩美を加え、新朦朧派と評される独自の風景画を確立します。やはり北斎と同じく隠居などしていなかったのですね。

そしてもう一つ、感動したことがあります。
元宋が亡くなったのは2003年ですが、3年後の2006年に奥田元宋・小由女美術館が開館しました。その記念すべき開館の図録で奥様の小由女さんがこう述べておられます。

「元宋は、亡くなる直前まで「まだまだ描きたい」「死んでもやはり絵描きになって生まれたい」と言っていたので、いつ戻ってきても制作できるようアトリエに絵の具と絵皿を用意しています。」

奥様は人形作家で芸術院会員ですのでこのような言葉が出たのでしょう。
私もこう言ってもらえるようにもっとワイフを大切にしなければ・・。