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「京の美」は芸術家(アーティスト)ではなく職人(アルチザン)によって創られる・・(入江敦彦著「京都な暮らし」幻冬舎文庫)
この本を読んでしばらく考えました。「京の美」と聞いてまず思い浮かぶのが寺院の庭園で、建築や伝統工芸などが続きます。
芸術家と職人の違いはよく話題になりますが、まず「技術」が問われるのが職人でそれよりも「独創性」が重要視されるのが芸術家だと言われています。
そういえば京都の庭園であまり個性の強い庭園は存在しません。理由は環境との調和を考えて造られているからです。
それは建築にも言えることで個性が強すぎるとやはり環境と適合しなくなります。その意味では「京の美」は職人によって創られると言えそうです。
ところがアートの世界では「職人」というのは皮肉を込めた意味合いで使われます。やたら技巧に走って仕上がりがきれいなだけで感性のない作品を作って満足していると、まわりから「それでは職人で終わってしまうぞ!」と嫌味を言われるのです。
やはり芸術家に必要なのは、独創性であり技術は二の次です。どんなに技術があっても、独創性が無ければ評価されません。
職人よりも芸術家の方がエライと思われがちですがちょっと待ってください。自分は芸術家だ、といくら叫んでもやはり社会の評価がなければ「独りよがり」でオシマイです。それよりも高度な技術を身につけた職人の方がはるかに良い仕事をしています。
そして真の芸術家は自分のことを芸術家だとは言いません。
対象物をぎりぎりまで切り取って独自の世界を創り上げた写真界の巨匠である土門拳は「写真屋の土門です」と名乗ったといいます。
「肩書よりも大切なこと」を教えてくれた・・やはり巨匠です。 |
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