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竹久夢二は数多くの美人画で知られており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれています。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」とも呼ばれました。
夢二は美術学校にも行かず、師について正式に絵を学んでいない画家でした。
その夢二に絵の手ほどきをして彼の技量を発揮させ、さらにモデルとなって「夢二式美人画」を誕生させたのは妻の「たまき」でした。
以降、夢二は画壇には属さず自由闊達な作風で東洋と西洋の融合を図り、センチメンタルな「夢二の世界」を築いたのです。
注目すべきは夢二作品の多くが雑誌上で紹介されて人気を集めたこと。つまり、印刷された書籍の表紙や挿絵などが多くの目に触れ、大衆人気というかたちで脚光を浴びました。それまでの「画壇」では考えられなかったことです。
これは大衆文化の開花による消費生活の拡大を背景としたもので、新しい応用美術としてのデザインの黎明の時代だったと言えます。その時代に夢二が彼ならではの自由な発想で、印刷物を通して時代の流れと大衆の心をとらえたのです。
まさに現代のマスメディアの先駆けであり、印刷や広告の原点を考える良き機会を与えてくれました。これは彼の功績だと言えるでしょう。
ところで私も写真学校を出たわけではなく、師について学んでもおりません。そして作品はほとんど印刷物で発表してきました。
その経歴が夢二に似ているせいか、私が撮影した女性像が夢二に似ていると思うのですが・・(笑)。
よろしければ当サイトの「ギャラリー京都その他」にある芸舞妓「上七軒fa11-126bw」「宮川町hl11-181b」「先斗町bl12-174」「祇園甲部gh22-642」などをご覧いただき、ご感想をお寄せいただければ幸いです。
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