(雲南編 3) 西藏チベット世界 中甸


午前6時にホテルをチェックアウト。外はまだ暗い。玄関で待機していたタクシーに乗るとドライバーが今起きた、という顔をしてあくびばかりしながら走るのでこちらは不安で目が覚める。

雲南航空4487便が、開港して間がない迪慶(中甸)空港に着陸。行き先が中甸ではなく迪慶となっていたので分からず搭乗の時に慌てましたがこの迪慶の文字にこだわる理由が後で分かりました。迪慶はチベット語で「吉祥如意の地」という意味を表す、というのです。

飛行機から降りようとタラップへ出てあまりの寒さに驚きました。昆明から北西に700kmの距離ですが緯度は少し上がった程度で寒さの原因は高度だったのです。ここは標高3300m、つまり富士山山頂の近くまで来ていることになります。

次の写真を見ていただければ寒さが分かっていただけると思いますが、中甸(ジョンディアン)は迪慶チベット自治州の州都で、この案内嬢はチベット族の民族衣装で歓迎してくれたのです。衣装のあまりの立派さに寒さも忘れて撮影していて突然気付いたのですが、中国の空港内は撮影禁止。昔、うっかり撮影して公安に連行されかけたことを思い出しました。やばい!あわててカメラをしまいながら周りに目をやると、降り立った乗客達が飛行機をバックにのんびり記念写真を撮っているではありませんか。オヤッ、ここは中国とはちがうの?

空港を出ると2〜3人のドライバーが近寄って来ましたが皆素朴で人が良さそう。その内の一人が少し英語を話したので値段の交渉をして成立。遠くに見える中甸の街へ向かってクルマは動き出しました。振り返ると出来立ての小さな空港が輝いています。空港が出来るまでは交通はバスだけで、昆明からまる1〜2日をかけて来るしかなかったので、地元の人にとっては待ちに待った空港なのでしょう。

まだ午前10時前でしたがホテルにチェックインしようとしたところ、心配していたことが起こりました。英語が通じない…。昨夜まで一緒だったガイドのKさんもいない。日本で支払い済みのホテルクーポンを見せてももう一度支払えと言う。あぁ、困った…。こういう時のために持参した「旅の指差し会話帳」(情報センター出版局)を取り出して、必要な言葉や絵の所を指差して説明するとやっと分かってくれて部屋に案内してくれました。長い会話文の載った本と違い、単語を大きな字や絵で表示しているのでそこを指差すだけ。便利なのでその後も大活躍します。

この日は早起きしたので眠くって部屋に入るなりベッドへ。目を覚ましたのは午後でした。遅い昼食を済ませてから街が一望できるという大亀山へ歩き出します。出会う人々にカメラを向けると恥ずかしいのかイヤなのか、下を向いたり逃げたり。このオバさんは微笑んでくれました。唯一の運搬手段でしょうか、皆が荷を背に負っています。

チベット牛のヤクでしょうか、裏町へ入ると牛や豚があいさつに来てくれますがこちらが慣れてないのでギョッ!

大亀山の頂上に建つ楼閣を守る男達。先程の会話帳でしばらく話して親しくなってから写したので表情が和やかでしょう?

そろそろ薄暗くなってホテルヘ帰る途中、民家の奥に灯りが見えます。一家団欒のひとときでしょうか…。

翌朝、ホテルの横の朝市へ。背の籠が野菜で一杯です。

待合室(?)から連れてこられたニワトリたち。最後の時だと分かるのか、絶叫する鳴き声が響き渡ります。

次に雲南省最大のチベット仏教寺院、松賛林寺へ。タクシーが案内してくれたのがこの絶景の撮影場所です。右の立派な衣装の男性が記念写真のモデルで一回10元(130円)。陽気な家族と共にしあわせそうでした。後方に聳え立つのが松賛林寺。

本堂から降りてきた老僧。チベット世界そのものですね。

ここで一眼レフを持った日本人青年M君と知り合います。彼も一人なので一緒に昼食でも、と街へ戻ることになり、彼のススメで乗合バスに乗りました。料金は1元(13円)でタクシーの30分の1。古い車体で快適とはいえませんがのんびりと景色を見られるのでたまにはいいものです。聞けば日本で短期間バイトで稼ぎ、そのあと長期間こうしてアジアを放浪しているとか。それだけの時間が持てることとその若さがウラヤマシイ!

昼食後、中甸がシャングリラ(桃源郷)と呼ばれる所以となった草原のナパ海へ行こうという事になり、彼が調べてくれたバスに乗車。途中、ガス欠で動けなくなるというハプニングがありましたがこれも旅のご愛嬌(?)。決まったコースをきちんと進む人生なんてちっとも楽しくないですからね。

これがナパ海とチベット族の遊牧民。6月〜8月だともっと草原が青くてきれいでしょう。間近に迫ったお祭りのため、青年たちが乗馬訓練をしていました。

翌日は郊外の白水台へ。朝からあいにくの雨でM君は本でも読んでいます、とのこと。何というゼイタク…。雨でも仕事をしなきゃあならない社会人の辛さを噛み締めながらミニバスに揺られて3時間半。ほとんどが山道で舗装なし。ガードレールもなく、カーブを曲がるたびにハラハラの連続。頭痛を感じたので原因はそれかと思ったがどうやら高度らしい。3500mを越えているという。軽い高山病のようだ。そう言えば少し息苦しくなってきた。

やっと到着。ロバに揺られて山道を上がった所に白水台がありました。石灰岩が棚田のように段々になった奇観です。雨ですべるのでは、と心配しましたが意外と歩きやすい。山道が舗装され沢山の人が来るようになるとここにも遊歩道ができるのでしょうねぇ。でもここには似合わない。この姿のまま見たければ皆さん、早く訪ねて下さい。

「イーヤー、イーヤー…。」高台から少女達の高い声が聞こえてきたので駆け上がると、近くに住むナシ族の女性達が歌いながら踊っています。これもまた観光客目当てのものなんですが女性達は素朴で、カメラを向けると恥じらいながらも笑顔を見せてくれます。中でも幼い少女の飾りが印象に残りました。

ナシ族は明日行く予定の麗江に住む民族で一日早く見てしまった感じです。でもこの辺りからナシ族の区域だと聞き、そうだったかとムリに納得しながら下山したのですがミニバスの待つ停留所の光景を見るとホッとしました。ここはまだ西藏チベット(?)だったのです…。

つづく

協力 日本エアシステム